のだ初

「初」への挑戦

ミッション1.たまご屋初!たまごかけごはん(TKG)専用醤油を開発せよ

TKG専用醤油「ぶったまごはん醤油」
たまごの生食離れが進むことに危機感を持ち、生食してもらえる機会を増やすことを考え思いついた。しかし、地元の醤油屋さんに話を持ち掛けたが「そんなTKGに特化した醤油が売れるわけがない」と相手にされず。。。商品化には時間がかかったが、たまたま会社に来た小豆島の醤油屋さんが協力してくれ実現した。ちなみに、商品名に「たまごかけごはん」ではなく「ぶったまごはん(商標登録)」を使用したのは、いずれTKG専用醤油がもっとたくさん出回りTKGブームが来る予感がしていたのでその時に商品名が埋もれないようにするため。現在は、大人用(赤唐辛子入り)と子ども用(カレー味)も販売中!

ミッション成功

ミッション2.日本初!たまごかけごはん(TKG)専用箸を開発せよ

混ぜやすさとかき込みやすさを追求した、先端まで極太の箸!
ほぼ毎朝TKGを食べているが、先端の細い通常の箸では混ぜにくくかき込みにくかったため、試しに箸の上下を逆にして持ち手の方で混ぜてみたところ、非常に混ぜやすくかき込みやすかったので思いついた。良いタイミングでたまたま箸作り職人と出逢うという奇跡が起きて商品化。 メディアが取り上げるなど話題性としては効果があったが、全てが手作りということもあり高価格帯になり、販売数自体は伸び悩んでいる。

ミッション失敗

ミッション3.日本初!たまごかけごはん(TKG)専用茶碗を開発せよ

TKGのかき込みやすさを追求した、フチの薄い備前焼の茶碗!
TKG専用の醤油と箸を作り、次に作るとしたら…と考えた時に思いついた。どうせ作るなら岡山らしく備前焼で!と思い、知り合いの備前焼作家さんにお願いして商品化。しかし、専用箸同様に高価格帯となり、販売は苦戦。また、備前焼が故に、使い続けると混ぜる時に箸がちびるという欠点を販売後に気付き、残念ながら現在は製造中止。

ミッション失敗

ミッション4.日本初!たまごの素晴らしさを伝える野球大会を開催せよ

居酒屋で隣の席にいた少年野球チームのお父さんたちから「子供たちが試合をする環境がないから、のだ初さんで主催してくれ!」と言われ、お酒の力もあって安易に引き受けたのが始めたキッカケ。どうせやるなら他にはない大会にしようと考え、しがらみがないよう企画から準備・運営まで全てのだ初でやることに。指導者に子供たちがノビノビと野球ができるよう怒鳴ったりすることを禁止にしたり、閉会式ではうぶこっこ家のお菓子詰め合わせやプロ野球選手のサインなどの景品を用意してお楽しみ抽選会を開催。また、たまごの素晴らしさを伝えるために選手だけでなくスタッフや親御さんにもTKGの無料配布を実施し名物となっている。

ミッション成功

ミッション5.西日本初!?卵殻に直接賞味期限を印字させよ

インパックラベルだけへの表示だとパックから出すと賞味期限がわからなくなるので、たまご1個1個へ表示をすることになり、どうせやるならゴミになる豆シールではなく直接卵殻に印字することにした。しかし、印刷機のノズル詰まりやミス印字等が多発し、卵殻の曲面に印字するため見難い等の問題も発生したため、現在は豆シールに変更している。

ミッション失敗

ミッション6.中四国初!たまご専門店(直営店舗)うぶこっこ家をオープンさせよ

自分たちのたまごに対してのこだわりや想いを消費者へ直接伝える場をつくりたいと直営店を企画提案したが、当時の社内の考え方は「たまごの生産者はいいたまごを作っていればよい」というもので却下。しかし、こだわりや想いを自分たちで伝えていくことの大切さや、鶏卵相場に左右される収益構造・大手との価格競争を続けていくことへの危機感があったため、諦めず5年間提案し続けて実現。「笑顔あふれるたまご専門店うぶこっこ家」としてオープンした。
オープン時は「こんな田舎に出しても…」と厳しい意見ばかりだったが、当初の計画を大きく上回る結果を出し、知名度としてはのだ初よりも有名なブランドへと成長。また、生産から加工・小売まで一貫して行うという6次産業化を気付けば実現していた!

ミッション成功

ミッション7.日本初!日本一大きなたまごかけごはんを完成させよ

茶碗の代わりに直径62cmの水連鉢、たまご200個、醤油2升(約3.6L)、ごはん9升(約24kg)を使用して200人前の「日本一大きなTKG」をイベントに来てくれたお客さんと一緒に作った。

ミッション成功

ミッション8.日本初!五ツ星タマリエ資格を取得せよ

一般社団法人日本卵業協会が制定するタマリエ検定(たまごのソムリエ検定)の最高位である五ツ星タマリエの最初の合格者を輩出した。

ミッション成功

ミッション9.日本初!「たまごは1日1個」という間違った認識を払拭せよ

四代目の若さゆえの勢いで始まったプロジェクト。
鶏卵相場は需給バランスで決まるのだが、当時の業界では鶏を減らすことによる生産調整(供給調整)思考が強かったため、某業界団体の賀詞交歓会にて「消費拡大に取り組んだ方がいいのでは?そのためにはまず日本人に定着しているたまご1日1個説を覆すことからはじめましょう!」と、田舎のイチ養鶏家(四代目)がその団体の会長に直接提案したところ全否定。。。若さゆえ、「もうええ!自分でやるわ!」と勢いで言ってしまう。

その時に「どうやってやるのか?」と聞かれ、とっさに「コネも金もない自分にはこのカラダしかないから自転車で日本縦断しながら伝えていく!」と言ってしまったのがこのプロジェクトの始まり。
最初は「売名行為」だの「どうせすぐやめる」だのネガティブな声が多かった。2007年7月に北海道からスタート、ゴール地である沖縄を目指した。自転車での縦断を進めていくうちに、全国各地で業界の仲間たちが協力してくれ、2007年12月に無事ゴールした。
この旅での走行距離約4,600km、イベント開催27回。
これをキッカケに鶏卵業界内で「たまニコプロジェクト」が定着し、2013年と2018年には「たまニコアゲイン~日本縦断チャリリレー~」として業界全体のイベントとして開催した。※2021年も開催予定だったが、新型コロナの影響により2022年に延期

ミッション成功

ミッション10.日本初!「ネオ6次産業」を構築せよ

のだ初×○○ 奇跡!?が生んだ「ネオ6次産業」
同じ畜産でも飼育している種類が異なると普段は全く接点がないのだが、農場の集約化に伴う吉備高原農場の売却先が養豚を行っているタツリュウ牧場だった。その契約時に四代目が実印を忘れてしまう。実印を届けてもらうまでの約30分間の雑談で出てきた、お互いの業界の情報交換時にひらめいたのが、この「ネオ6次産業」。1社ですべて完結する従来の6次産業とは違い、【既に6次化をしている生産者】と【6次化をしたいがなかなか一歩が踏み出せない生産者】がタッグを組むことによって実現されるこのシステムを「ネオ6次産業」と命名した。

まずはタツリュウ牧場さんとのネオ6次化を成功させ、この成功事例を世に広めることによって全国各地でネオ6次化が進めば日本の1次産業は元気になり、1次産業が元気になれば日本が元気になると考えている。そして、将来的には畜産に限らず農業や漁業など業種の垣根を越えて循環型の仕組みをつくり、日本の1次産業をもっと元気にしたい!と考えている。

ミッション成功

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